ワインレッドに包まれた薄暗い空間。アンティーク調の部屋ではコップを磨く音だけが辺りを満たしていた。
此処は酒場、もうすぐ開店の時間となる。この静かで平穏な時間が私がもっとも好む時間でもあった。しかし他人の話に耳を傾けることも自分は好きだ。だから酒場のマスターという仕事を選択した。
他人の人生観に耳を傾ける。人それぞれに感じること、喜び、悲しみ、痛み。その感情はみな変わらないものなのに不思議なことに人と言うモノは、個々人によってその受け止める方も違うのだ。
扉の札を『開店』に置き換える。
まもなく、見知った二人の男が店内に姿を現した。
「よっ! マスター、景気はどうだ?」
片手を挙げて声をかけてきたのは、黒髪の眼つきの鋭い背の高い男だった。後ろについて来ている華奢な薄い色素の髪を有する男は何故か不機嫌そうだった。
「あまり変わりはないですね。不可も可もなく、と言った所ですか」
背の高い男の質問に答を返しつつ、二人にカウンター席を勧めた。常連で座る席もいつも決まっている。
席に座るなり、色素の薄い髪の男が口を開いた。
「ねぇ、マスター! 人生ってなんでこうも上手くいかないんだろうね!」
突然の問いかけに思わず目をしばたたかせる。
「あぁ、わりぃな、マスター。今日、お客で迷惑な奴がいてな。それでこいつ怒ってるんだ」
仕方がない、といった風に肩を竦ませて向かって右に座った黒髪の男は言葉を紡いで溜息を吐いた。
「あのなぁ? だいたい、人生ってのは階段なんだ。登りつめるのはしんどくて息切れして当たり前なんだよ。いちいち切れてても、しゃーねぇだろ?」
右の男の言葉に左の男は眉をピクリと釣り上げた。
「そんなこと言ったってむかつくものは、むかつくんだっ。人に本を探させて時間がなくなったら『もう、いいわよっ。全く役に立たない人ね』とか言われたら腹立ってもしょうがないじゃん!」
「まぁ、それが俺らの仕事だからな? 文句言われようがなんだろうが仕事はこなすしかねぇんだよ。それにどんな仕事でもそう言うものはついて回るもんだ」
「あーあ。僕、この仕事向いてないのかもしれない」
左の男はそう言うとテーブルに突っ伏した。それと同時にいつも二人が注文するものを私はテーブルに置いた。
それを眉を八の字にしながら左の男は見つめる。
「……そうか、人生って階段なのか。ん? けど人生が登ってるなんて誰が決めたの?」
ふと疑問を右の男へと投げかける。
「んあ? ただ何となくだが?」
「人生と言うものが『死』に向かってるんだとしたら、もしかしたら下り坂かもしれないじゃない?」
勢い良く顔をあげて左の男は抗議の声を上げた。右の男は首を傾げながら考え
「あぁ、そうなのかもなー。勢いつきすぎて転がり落ちるってこともあるもんな。けど前に進みにくい時って人間誰しもあるもんだろ? そう言うときはやっぱり目の前に大きな上り坂があるような感覚に囚われることが、俺は多いんだが?」
疑問系で問い返す。
「……そっかー。なんか人生って複雑だね」
「まぁ『人生山あり谷あり』って言うぐらいだからな。グネグネしてるんだろうな人生の階段って。人によってその度合いは違うんだろうけどな」
その言葉に左の男は顔を顰める。
「んー。けどやっぱ、人が苦しんでる時ってやっぱりその度合いはあるとしても、しんどいことに変わりはないからね。そう言うときはどうしようもない位へこむよね」
左の男の様子に右の男は苦笑を漏らした。
「そう言う時の為に、他人がいるんじゃねぇのか? しんどい時は人にぶつかっていきゃぁいいんだよ。ま、人生気楽にな」
言ってグラスの中身の喉に流し込む。
「そっか。そうだね。人の存在で上り下りも緩いものに変わるのかもしれない」
そう言うと左の男もお酒に口をつけた。
私は二人の話を聞きながら口元に微笑を湛えた。
私も日々変化のない毎日を送っていると思いながらも他人に影響を受けているのだと感じたからだ
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